五分間の芸術 美空ひばりの「酒」石本美由起

〈前号につづく〉

また、私自身もよく飲みました。私は小児ぜんそくで体が強い方ではなく、若い時分は酒が飲めませんでした。それが音楽仲間と行動を共にしていくうちにだんだん酒が飲めるようになり、三十歳を過ぎてからは本格的な酒飲みになりました。想像力を武器にして実際に経験していないことでも、物語に編んでいくのが作家ですが、私が作った酒の歌に、もし真実味があるとしたら、それは飲み歩いた酒場での出会いがあったからです。

酒場は歌の題材の宝庫でした。ふとしたことで聞く話には人生が凝縮されているのですね。あれは昭和三十年代の中頃だったと思います。その当時、私が仕事をしていたコロムビアレコードは、東京の内幸町(うちさいわいちょう)にありまして、そこで仕事をした後はたいがい銀座で飲む。そして飲み終えると横浜の自宅まで電車に一時間ほど乗って帰るのですが、その間に酔いが覚めてしまいます。そこで、横浜駅に着くと西口にあった「コロ」という酒場で少し飲んで家に帰るのが常でした。

その日も例によって東京で飲んでから「コロ」に寄りました。「コロ」には数人の女性が働いていて、その日、一緒に飲んだ女性とはすでに馴染みになっていました。とは言え酒場によくある冗談話だけしかしていなかったのですが、彼女はその日に限ってしんみりと自分の身の上を語り始めたのです。

私がひとりで飲んでいたからかもしれません。彼女は当時、夫と別れ一人娘とふたりで暮らしていました。当時の横浜駅の西口は、今のように開けていず、酒場にもなんとなく場末を思わせる雰囲気がありました。その町に彼女は男と別れて流れてきた。彼女の強さと切なさは美しく、私は彼女のことを歌にしてみようと思いました。

しかし、作詞は難航しました。短い歌詞に情感を込めることは難しく、書いても書いてもなかなか納得いくものに仕上がっていかなかったのです。そうしてようやく完成した詞には古賀政男先生が曲をつくってくれ、北見沢淳(きたみざわじゅん)という男性歌手によって歌われました。ところが歌が世に出て一年半後に北見沢淳が亡くなってしまったのです。

〈つづく 2/5〉

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