町人の酒遊び

〈途中略〉

田沼意次の全盛期、安永年間ころ、大坂の富豪で河内屋太郎兵衛というものがいた。たいへんな遊び好き、大酒飲みだった。世に河太郎といえばかれのこととして知られた。

あるとき、芸妓たちから住吉詣でに連れていってほしいとねだられた。かの女らに甘ったれられて、すぐ「よしよし」という男は、今の世にも少なくないが、河太郎はその実力十分であるだけに、ただ金を使うだけではつまらぬと思ったのか一つの趣向をこらした。

かれは一艘の屋形船にどっさり酒、肴を積みこみ、芸妓たちを乗せて、はしゃぎながら住ノ江の岸辺にまでゆっくりと下った。岸辺に船を寄せるとうす汚い姿の男が数名菰(こも)をかぶって寝転んでいる。船中でかなり大酒を飲みほしていた河太郎は、かれらに声をかけ「みんなここに入ってきて酒の相手をせいや」というと、遠慮がちに船に乗りこんできた。

河太郎はいい気分そうに、かれらを相手に盃のやりとりを続け、うまい馳走を食べさせた。芸妓連中は、このようすにすっかり酒もさめ、男たちのむさくるしさが鼻について何も喉を通らない。つまらないから皆岸にあがってしまった。残った男たちは酔うほどに三味線なども取ってひき、かつ歌う。それぞれ芸を演じるがどれも達者である。その芸のうまさ、おもしろさに、陸にあがった芸妓連も立ち去りがたく、のぞき見している。

「いや-、よくやった、褒美をとらせるぜ」

と河太郎は、風呂敷からかれらの人数分の衣服を出した。男たちは「大きに」と言いつつ皆川に飛びこみ身体を洗う。身体のあちこちに傷やただれにしていた肌だったが、なんとこれがこしらえもの。川でごしごしやって取り去ってしまった。さっぱりした身体になって、与えられた衣服を着ると、じつは当時名代の京都の太鼓持ち連だったという。すべて河太郎のしくんだ演出だったのである。

酒飲みで遊びが好きという人間は、このころから今日まで多くいるが、河内屋太郎兵衛のようなこんな遊びっぷりのできる男はそうざらにはいない。

酒が語る日本史 和歌森太郎 河出文庫

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