寛政(1800年頃)の酒仙 亀田鵬斎

〈前段略〉芸人といえば、役者、芸妓、たいこもちたちと親しく交わり、気さくに酒を飲みあった学者に亀田鵬斎がいた。かれは江戸に生まれ、神田駿河台や下谷に住んだ生粋の江戸っ子学者で、その義侠心の強さでも知られていた。

越後へ旅したとき、いつも常宿にしている旅宿の娘が、あまりに貧乏な家の生活をたすけるべく女郎に売られようとしているのを見かねて、即座に持ち合わせの百両をあたえたという。かれは書道でもすぐれた大家だったから、越後路での各所で揮毫したさいの礼金などの百両だったのである。ために駕籠にも乗れなく、歩き歩き江戸に帰ったのがちょうど正月間近い年の暮。留守宅も貧乏で、正月支度はなにもしていない。妻女に合わせる顔もなく、だまって病と称し寝こんでしまったという話がある。この妻というのが、もと芸妓だったものだという。

田沼時代の凶荒続きのころ、難民のことを思い、いても立ってもいられず、蔵書をいっさいたたき売って、義捐金を送ったりしたともいわれる。しかし自身のくらしもけっして楽ではなかった。折衷学派の井上金峨に師事して、大いに学業を進め、熊本の相良侯などもついて学ぶところがあった。

けれども、なかなか遊び人でもあり、門弟を前に講義中に、吉原から使者が来て、馴染みの遊女の手紙を差し出すと、これを読んで「自分はこれから吉原に行ってくる、皆ゆっくり休息していてくれ」と言い残して、旗本武士その他の門人をそのままにしたまま出かけた、などという挿話もある。つづく

酒が語る日本史 和歌森太郎 河出文庫