大阪夏の陣 木村重成の戦い

携えた文庫本から大阪夏の陣「若江堤の霧」(司馬遼太郎)の木村重成の活躍を抜き出す。

慶長二十年(元和元年1615年五月六日)の夏の陣で西軍の将「木村長門守重成」討死(二十二歳)。
合戦の前夜屋敷に戻り、新妻と二人きりで静かに別盃をかわしたという。
出立にあたって兜の忍び緒のはしを切った。再び生きて帰らないつもりである。

[若江堤の戦い]
大和盆地に集結した徳川の東軍は生駒山の暗(くらがり)峠や十三峠などから大阪平野になだれ込んだ。
木村重成は東軍藤堂高虎隊を撃破した後、井伊直孝の隊とぶつかる。戦いは惨烈の極めに達し重成は討死。
大阪城で重成を知らないという女官はいなかったというほどの美男子。疲労困憊、ボロきれのような姿で討たれたという。
若さゆえ戦いまで存在を知られていなかったが、秀頼の講和の使者役や、若江堤の活躍で大阪落城の象徴的な英雄になったという。

本の結びには
新妻は夏の陣後、江州蒲生郡馬淵村に落ち男子を分娩したのち髪をおろし、法体となり翌年夫の命日の日を選んで自害して果てた。
子孫は馬淵村で栄えこの村から多くの江州商人がでた。
大阪の江州系商人のうち木村姓の大半は木村重成の子孫であるという口碑(こうひ)をその家系にもっている。重成の血が江州商人になるという発想は陽気でいい。