京の味 (3/3)

京者の精神は、平家物語にも出てくる。木曽義仲や源義経をむかえての公家たちの反応のはしぱしにそれはうかがえるのだが、結局は京文化の代表であった後白河法皇のひろげた真綿につつまれ、真綿の中の針につつかれながら、つつかれているともかれらは気づかず、やがては法皇の政略のなかでほろびてゆく。私は上方そだちだから、このあたりの機微が、義仲や義経に満腔の好意と同情をもちつつも、なんともいえずおかしくもあり、あわれでもある。

ただ、坪内某は、田舎者ではあるまい。時代がそうなのである。中世というのは西洋でもそうだが、近世以後の秩序文化に馴致(じゅんち)されたこんにちのわれわれからみると、ひとびとの気がじつにあらく、感情の表出がはげしい。京者といえどもそうである。同時代の京者であった細川幽斎は、料理をしていて鯉に不審をもった。しらべると鯉のなかにだれかのいたずらか、火箸が一本入っていた。幽斎は脇差をぬくなり、その鯉をまないたぐるみ真二つにしてしまったという。そういうところが坪内にもあり、信長を相手にあのようにきわどいあそびをしてしまったとみるほうが、当時の人情を理解する上でより自然であるかもしれない。

それにしても、京都人はこと文化に関するかぎり、本音の底にはひどくはげしいものを秘めているようにおもえる。

「ちかごろ東京に関西料理が進出して、東京の味もだいぶ変わったようですね」

と、ある京都の料理通にいったことがある。その料理通は、おだやかに、

「そら、よろしおすな。東京もそろそろ都になって百年どすさかいな」

と、答えた。都ならばいつまでも濃口醤油の煮しめばかりを食っておだをあげていることはあるまい、いずれは舌の味わいぐあいも都らしくなるであろう、「なるほどそろそろ都らしくなってきましたか」というあいさつなのである。よく考えてみると、これほど痛烈な批判はないのだが、しかし語り手の表情はあくまでもおだやかで、微笑をたたえて玉のようなのである。このあたりに京があるらしい。

歴史と小説 司馬遼太郎 集英社文庫

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