京の味 (2/3)

坪内はおどろかず、いまひとたび機会をあたえてもらいたい、翌朝の餉をつくらせてもらいたい、それにてもなお上様のお舌にあわぬとあれば自分は切腹なりともなんなりともする、といった。その言葉が信長にとどけられた。信長はゆるした。

その翌朝の朝餉で信長は満足した。「信長公御感ナナメナラズシテ坪内ヲ後家人ニ召シ出サルル旨オホセ出サル」。

「あたりまえのことさ」

と、坪内はあとで料理人仲間にいったらしい。最初につくった膳は京風の味だから信長公のお舌にあわなかったのさ、ニ度目の膳はあれは田舎味だ、塩梅を辛ごしらえでやったのだ、「故ニ御意ニ入リ候ト言フ。信長公ニ恥辱ヲ与へ参ラセシト笑ヒケルト也」。

このはなしは高名な咄で、上方の薄味、田舎の濃味というのがすでにこのころにはそうであったということがわかっておもしろいのだが、それ以上におどろかされるのは坪内某(名前が伝わらない)の京者らしい凄味である。当時、美濃の不破ノ関から以東をアズマといった。信長は尾張だから当然アズマであり、アズマは言葉もちがい、物の味もちがう。魚鳥を煮るにも醢(ひしお)でひりひりと煮あげるといった味わいの地帯で信長が育ったということを、坪内は百も承知でありながら、わざと淡々(あわあわ)とした京味で仕立てて最初の膳を出したというあたりが、坪内の京者らしさであり、そこに命がけの痛烈な批判をこめている。のちの千利休の秀吉に対する態度にも似たような気配がうかがえるが、利休はこのことの度がすぎて殺された。坪内はあやうくまぬがれた。しかしもう半歩踏み出せば死ぬというきわどさのなかでこういう芸当をした。「そこが京都人の典型や」と、席にいるひとがいったのである。

が、京都人であるA氏は、

「いや、まだ坪内は修業したらん京者や。本物の京者というのはもっと凄い」

という。A氏のいう本物の京者とは、こういうばあい、ニ度目の膳を出したあと、恐懼(きょうく)して感嘆するはずである、というのである。

「おそれ入りましてござりまする。ニ度目の味がおよろしゅうございましたとは、料理人としてまたとない勉強をさせていただき、これほどうれしいことはございませぬ」

というはずである、とA氏はいう。批評の凄味はそこで成立するわけで、相手をほめるだけほめあげていよいよ田舎者に仕立て、しかも自分自身を安全な場所にひっこめてゆく。坪内はこういう芸にまで至っていない、という。そのぶんだけ坪内はまだ田舎者であるというのである。

この議論は、おもしろかった。この議論で考えてゆけば、千利休もまだまだ都の修業の足りなかった田舎者であったといえるかもしれない。

歴史と小説 司馬遼太郎 集英社文庫 つづく

デ