アメリカに乗り込んだ名船カティ・サーク

〈途中略〉

いよいよ禁酒法が廃止されそうだ。カナダの酒造会社は奮い立った。アメリカのウイスキー産業が復興する前に、いた早く巨大市場をおさえてしまおうとしたのである。そうした業者の一人がジョセフ・E・シーグラムだった。彼は禁酒法の廃止を予見しており、三四年の秋に「シーグラム・セブン・クラウン」というライト・タイプのウイスキーをアメリカで売り出した。アルコールに飢えていたアメリカ人は、このウイスキーに飛びつき、その味に慣らされてしまう。そのためかどうか、現在にいたるまで「シーグラム・セブン・クラウン」はアメリカで広く愛飲されるウイスキーになっている。

[アメリカに乗り込んだ名船カティ・サーク]

イギリスの「スコッチ」のほうも負けていられなかった。ロンドンのウイスキー製造業者フランシス・ベリーも好機にうまく乗った勝組である。彼はアメリカ人好みのライト・タイプのウイスキーをブレンドし、友人の画家マックベイに書いてもらった手書きの帆船の黄色いラベルを貼って「カティ・サーク」とし売り込みに成功した。「カティ・サーク」は、現在でもアメリカでは、「J&B」「ブラック・アンド・ホワイト」とともに三本の指に入る代表的ウイスキーである。

ラベルとして用いられたカティ・サークは、中国から紅茶を輸送する快速船(ティー・クリッパー)だった。一刻も早く空白のアメリカ市場にウイスキーを運びたいという思いがフランシス・ベリーにこの図柄に思いつかせたのかもしれない。カティ・サークについて簡単に触れてみよう。

1842年にアヘン戦争に勝利したイギリスは、大量のアヘンを公然と中国に持ち込み、紅茶を輸入するようになった。中国からの紅茶の運搬に携わる木造帆船を「ティー・クリッパー」という。毎年、新しい紅茶が出る時期になると、それを最初に運搬すれば、新茶を待ち焦がれているイギリスで高値で売れた。そのために、商人はシーズンの先端を切って紅茶を輸送した帆船に多くの賞金を出し、ティー・クリッパーの間では激しい競争が展開された。

1866年には福建を出港した一七隻のクリッパー船が競争に加わり、そのうち三隻が九九日間を平均七ノット(1ノットは1・85km/時)で福建とロンドンの間を走破した。帆船が出しうる最高速度が十四、一五ノットなので、驚異的ともいえるスピードだった。「カティ・サーク号」は「海の貴婦人」ともいわれ、全長八五メートル、幅約九メートルのうっとりするほどスマートな船である。船名の由来は、スコットランドの民話に登場する魔女ナニーの「短い下着(スコットランドのゲール語でCutty Sark)」からきている。

知っておきたい「酒」の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫  ビ

 

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