「文武両道」上杉謙信

出家後謙信を名乗り、軍神「毘沙門天」に帰依。戦いに勝つことを願い、三十数年負けを知らなかった。

生涯独身を通し文芸や四書五経、国学を好み詩を残すなど「文武両道」でもあった。

柴田錬三郎著「生きざま」から引用する※     〈略〉好敵手武田信玄はすでに亡く、織田信長が京の都で勢威をふるっているのをみて、謙信は、天正六年三月、雪どけを待ち、大軍を催して、上洛せんとした。

その矢先、急逝した。

信長が放った忍の者に、暗殺された、という噂も流れた。

謙信の死後、枕の下に、次のような一偈(げ)があった。

我一期栄一杯酒   四十九年一酔間   生不知死亦不知   歳月只是如夢中

この一偈の中の「生不知死亦不知」の文句を、菊池寛は、好んで、色紙に書いた。

私は、生まれた時を知らず、まして、どうして死ぬ時を知ろうか。

ひとつの人生観である。

(上杉家 智将一代物語)