2015年新春輪行 奈良街道を走る(奈良県)

昨年の正月は邪馬台国(?)軍司令官、長随彦(ナガスネヒコ)の根拠地とされる奈良の「富雄」周辺の神社を廻り、天磐船に乗って空を飛んだという饒速日命(ニギハヤヒノミコ 物部氏の祖先神)を祀る大阪府「交野市」の「磐船神社」に行き記紀(古事記 日本書紀)の世界で遊んでみた。

今年は奈良県の「田原本町」をスタートして「大和郡山市」へ。
さらに「斑鳩町」から「王寺町」へ。
近鉄「河内国分」の駅前を通り大和川を渡り「八尾市」へ。さらに「東大阪市」を経て大阪「天王寺」に向かう。

始めに近鉄「田原本」駅から近い「鏡作坐天照御魂神社:カガミツクリ二イマスアマテラスミタマジンジャ」へ。11:05
晴れたがあいにく台風のように発達した低気圧のせいで、自転車毎持っていかれるような強風だ。
電線を切る風はうなり声をあげ砂を巻き上げ、向かい風は倍以上の力で漕いでも遅々として進まない。
それどころか必死に手で帽子を押さえながらの片手運転は、前方も見にくく危なっかしい。
横風がまともなR24を避け集落の中の狭い道に逃げ込むが、もう嵐と変わりない。

[元旦早々なぜ走るのか?。自転車好き?。]
暇つぶし…。ん〜 古代史が好き。腹減らし。
[なにが分かる?]
少し本を読んでその場の空気に触れると気分がいいんだ。
[神って?]
山や巨岩、森や大木に宿り、畏れなどで近寄り難いもの、幸福を祈るものだと思う。だけど祈りが目的ではなく、ついでに祈るくらい。
明治神宮のように、生きていた人を神に祀る神社には興味はないけど。
[……。]
小野小町に魅せられた深草の少将が、彼女の屋敷まで通ったという京都山科の道も歩いたことがあるけどな。
「百夜通い」が無理と分かったのが面白かった。

[三角縁神獣鏡は日本製?]という説があるが、この鏡作神社周辺には邪馬台国の時代「鏡作」の工房があったといわれ、大和時代も続いたとされる。
参道近くの小さな池は「鏡池」。
鏡師はこの水で秘法を授かったと伝えられている。
「うう〜ん…」。
工房や住居など想像も出来ないがため息だけは出た。

古代人にとって鏡は魂が宿るものとして、とても大切に崇敬されてきた。
天皇家の三種の神器にあるように、祭神とされたりして重要な扱いだった。
社殿は珍しい5間社流造りで朱色鮮やか。本殿3社と2つの合間からなり江戸中期の作りという。
ガラス、鏡業界、鏡を使う美容師や化粧品関係者の参拝が多いという。
この辺りは邪馬台国跡かといわれる「巻向遺跡」や「唐古・鍵遺跡」、三輪山も近い。

「唐古・鍵遺跡」はこの神社からすぐだが、風のせいで探せずじまい。
偶然行き当たったのが、大木に藁で編んだ蛇を巻き豊作を祈願する行事で有名な「杵築神社」。
蛇の関わりから出雲との関係を説く学者もいて面白い(邪馬台国=出雲勢力)。

次に訪れたのは矢田地方の総鎮守社で「郡山」の「矢田坐久志玉比古神社;ヤタ二イマスクシタマヒコジンジャ」。

地図(スマホ)を取り出せる余裕も無く当てずっぽうだ。
郡山の市街を右手に、向かい風に逆らうこと2時間、やっと「矢田小学校」を見つけた。
矢田坐神社はこの小学校の裏手だ。

正面の楼門には航空関係から奉納された「プロペラ」が掲げられている。
「天磐船 アメノイワフネ」伝説によると天から地上に降り立つ際、饒早日命が放った3本矢の内2本がこの地に落ちたとされる。
「航空祖神」として崇められ、9月20日は航空祭りが行われるとか。
ちなみに日本書紀には邪馬台国のこの命と長随彦が、攻め込んできた神武軍と死闘を繰り返した旨が記されている。
社殿の前で古木を燃やす焚火の炎がとても有り難い。

予定ではここから神話の時代の二つの神社と別れ、「法隆寺」を遠望しながらR25を大和川沿いに走り八尾市を目指す。
通る道は「竜田道」=「奈良街道」、造られた時代は飛鳥時代と。
大阪「天王寺」と奈良「法隆寺」を結ぶ主要道で、聖徳太子も利用したとされ斑鳩町の竜田神社付近を通る道を竜田道(R25)ともいう。
ゴールはその「天王寺」。
以前から走ってみたい道の一つだが、今日大阪へは収まる気配のない向かい風。
太陽は黒雲に遮られたりで寒さも一入。
これが追い風なら大阪へは一気(?)かも知れないが一人のこと、あっさり諦め近鉄「郡山」駅から帰ることにした。15:40

夙川堤の草にかかる白いものは雪。奈良盆地にはなかったのに。
1月1日  小出 登
立ち寄り酒場:無

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