元旦例会 記紀の世界を走る(奈良県)

「走るだけではつまらない。面白ろなければ続かない」ということで、今年初めは奈良の記紀(古事記・日本書紀)の世界を少し走ってみる。最初と最後に渡来系寺院を結び距離を欲張った。

近鉄田原本町駅を1040スタート、西に住宅地を抜け畑が広がる高陵町へ。三重の塔を目安に走ると「百済寺」の塔がのぞいた。1055 かって南都七寺の筆頭ともなった大寺。「百済」(くだら)の地名も残るが寂れて往時の面影はない。

次は川の土手に沿って北に伸びるサイクリングロード「せんとの道」を走り安堵町へ。日差しが消え風に吹かれると寒さが辛い。道標を確認しながら大和川・富雄川合流点に到着。1140 慈光院前を1200に通過して川を離れ、矢田丘陵に向かう。奈良高専から矢田小学校近くの民家と民家の間の狭い道の奥に「矢田坐久志玉彦神社」(やたにいますくしたまひこじんじゃ)の幟が見えた。

プロペラが飾られた山門が象徴するように饒速日命(にぎはやひのみこと 後期邪馬台国の王?)が天磐船(あまのいわふね)に乗って降り立ったところ、命が天から矢を放ち落下した場所との伝承がある。

昼食は郡山市内で。2人分のやきそばで満腹のまま再び北へ。近くに「富弥神社」があり一帯は長髄彦(ながすねひこ:饒速日命の軍司令官。ヤマトに進攻する神武(天皇)軍と戦い悩ませた)伝承の地だが、離れてしまいそのまま富雄川を走る。霊仙寺で休憩後しばらく走ると町中に入り近鉄「富雄」駅が見えてきた。

残念だが時間的に磐座(いわくら)祭祀の場=磐船神社などがある枚方行を中止して、行き過ぎた「添御縣坐神社」(そうのみあがたにいますじんじゃ)に寄った。代々富雄川の流域の人々に祀られてきた神社。有料太鼓もあるが賑やかさや派手なところがないのがいい。長髄彦は明治政権下、天皇に刃向う反逆者として神社の祭神から抹消されてしまった。

何が楽しい?今でも富雄の古老が「私の先祖は長髄彦に従い戦った」と胸を張るところが痛快だ。若者は興味が持てないだろうが、おじサン方はこれで古巣で遊んだような心地よさもなくはない。

参加者:大津隆夫 仙谷和博 小出登

ヘルスセンター:まんまる 西九条

次回:未定