2017年5月遊山例会 唐櫃越(明智越) 京都府
「もう耐えられへん」と言ったかどうか。謀反の声は明智光秀。中国攻めを織田信長から命じられ居城亀岡を出陣したが、途中で行先を変更、本能寺を目指した。
2万を越す大軍、道は狭く軍勢を三つに分けたというが、一軍一列1mとしても6000m。たいまつ手に甲冑に身を固め刀、槍を持つ兵士が我々が登った同じ(?)山を駆け登っていった。わらじで。
天正十年(1582年)六月二日「本能寺の変」。
この日からわずか十二日で光秀の夢はあっけなく水泡と帰した。享年五十五歳とも五十七歳とも。
5/7我々は逆に京都から亀岡(馬堀)を目指し、阪急上桂駅を9:30過ぎに出発、西に歩き約20分で竹林の中。六地蔵を右に見て更にいくと自然林に入る。田尾分岐→野鳥遊園→展望広場を越え最初の山頂「沓掛山」415mに昼過ぎ到着。山頂の見晴らしは木に囲まれいまいち。
昼食後はまた樹林帯のアップダウン。「唐櫃越え」に気づかず通過して舗装道に出る。二番目の山頂「みすぎ山」430mは送電鉄塔の下。正面に「愛宕山」その下は「保津峡」の流れで全国的に有名な景勝地、船下りもある。愛宕山のコブは比叡山とのケンカからだとか。デッカい話の由来を柴山さんに聞けば良かった。
下山は終始暗い樹林帯の中。どんどん下って見る間に姿が消えたが、後でトイレが一つもなかったためという。女性に人気の山なら整えておいてほしいものだと、多利用のワタシも強く言いたい。
参加者:三井康太郎 小出登 柴山恵子 横山悦子 作畑千恵子
救急救急センター:豊丸水産 高槻市
次回:6月4日(日)津田山を登る(滋賀県近江八幡市)詳細はハイキングカレンダーを。
沓掛山の細い道を自転車がビュンビュン走っている。
ご本人たちはスゴく楽しそう、でも見ているコッチはヒヤヒヤ。
地味にしんどかったけど、爽やかで気持ちの良い春ハイキングでございました。
※愛宕山と比叡山のケンカの原因は、琵琶湖絡みの三角関係かしら、、、?