2013年12月例会 壺阪寺から高取山(城跡)へ

壺阪寺から高取山(城跡)へ(奈良県)

「ぬる燗」から「熱燗」へ。ビール500ml缶から350ml缶に変えて12月。
今年最終は8日(日)近鉄壺阪山駅から高取の古い町並みを歩いて、お里沢市の「壺阪霊験記」で有名な「壺阪寺」へ。
更に「高取山」を目指し584mの山頂にそびえる城跡を訪ねるもの。
初めて訪れたのは2001年1月。石垣に雪が積った写真がある。

この日も快晴、風もなく気温もまずまず。=ということは絶好の天気。
雨の3月を除き今年は天気に恵まれた。
4月は雨だったが昼前に回復、コースを変えたので中止は一回だけ。

阪急夙川駅に7:45集合して近鉄阿倍野橋駅へ。
8:50の急行で壺阪山駅に9:37着。
高取の土佐の町を歩くことから始まる。
数軒の漢方を扱う薬屋や、城門を移した医院など城下町の佇まいが続く。
古い物に囲まれながら石畳を歩くのは楽しい。
気持よく歩いて家老屋敷まで行ったが、少しオーバーウオーク。
道を戻り石標を左に曲ると小さな寺の庭に「お里沢市」の墓所があった。
二人の戒名が刻まれた墓標に手を合わせて再び出発。

町を出て車道と分かれ「清水谷」の入り口に。10:50
休憩後杉桧林の森を登っていくと斜面の崩壊や、倒木など、夏の豪雨の爪跡がところどころに残る。
湿地帯を越え急坂を一登りして、西国三十三ヶ所第六番の札所「壺阪寺」の大きな駐車場に出た。11:55
高取山(?)の中腹に三重塔や本堂、巨大な観音の石像が建ち並び寺の規模は大きい。
トイレを借りようと入り口に向かうと
「入場料600円を払え」。
「観音サンの慈悲でトイレぐらい使わせたらいいのに」
印象を悪くした。

昼食は山頂にして出発。登山道は寺の側面の車道に沿う。
車道を離れ森の中に入ると勾配が増す。
一歩々体重を引き上げ登ると、巨岩に「五百羅漢像」が刻まれていた。
無数の羅漢像は風化が進み表情もわかりにくいが、そのぶん不気味でもある。
石仏群を見ながら更に登り山頂の「高取城跡」の天守閣前に到着したのが12:50。
積った紅葉の厚みで靴底に柔らかさが伝わる。
赤茶色に染まった広場に屏風のような石垣。
「山城の規模は数本の指に収まる」という高取城跡。
明治になって取り壊された高取城。
麓でこの城の復元CGを見たが、この標高に居住した侍達のことを考える。
城の偉容もさりながら、「水 食糧などはどうしたか…」生活の方が気にかかる。

もう一つ気になるものが…。
「高取土佐にすぎたるものは、ブリキトースに反魂丹(ハンゴンタン:漢方薬)」
幕末「天誅組」との戦いがあり大砲が使われた。
徳川家きっての譜代の大名として、城主に預けられたブリキトース=大砲。
かって大阪冬の陣で豊臣方を恐怖に落とし込んだこのブリキトース。
東照権現(家康)の権化のように扱って二百余年。
火薬の製法、大砲の打ち方も口伝で取り扱いがわからない…。
なんとか弾丸を発射して賊を追っ払うが、後日この弾を頭に受けた者と再会。
「三日三晩、耳鳴りがして眠れなかった」
その程度の威力。
争乱でみせた植村藩の狼狽ぶり、徳川三百年の中身を描く「おお、大砲」(司馬遼太郎 新潮文庫)を読んできた。
だから「天誅組はどの方面から攻めて来た?」「どこにその大砲を据えたか?」
そんなところに興味が尽きない。

下りは「七曲り」を通る。
「猿石」の石像を見て飛鳥への分岐を越える。13:40
「水と緑の砂防モデル施設公園」でやっとトイレ休憩。
もう一つの「気になり」もコース終盤で解消。
湯を沸かしてコーヒータイム。
これからは高取の町に入るので苦労はない。

参加者:三井 康太郎 小出 登 山下 理恵子 柴山 恵子

立ち寄り慰安所 おでん宮本 東大阪市
おでん
生ビール 燗酒 いも焼酎 ハイボール他
もう一軒   立ち飲み ひらた 東大阪市
生ビール 燗酒 チューハイ
おでんの玉子
もう一軒   串カツ オーエス 大阪梅田
串カツ
生ビール ?

次回:1月13日(月)金剛山
阪急夙川駅7:50又は南海なんば駅8:35集合
なんば発8:47急行林間田園都市行→河内長野駅9:20
金剛山行きバス9:30
その他:弁当 手袋 帽子 アイゼン持参

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