2009年10月遊山会 奈良「白毫寺」から「正暦寺」を歩く
奈良「白毫寺」から「正暦寺」を歩く
近鉄発行のハイキングマップ「てくてくまっぷ」を持って、12日奈良市内の「白毫寺」から郊外の「正暦寺」まで歩く。スタートは近鉄奈良駅。久しぶりのハイキングである。終着点までは14kmとあるので「破石町」までの4km弱(?)はバスに乗ってちょっとズルをする。
参加者は大阪から東山氏、東大阪から栗本夫妻、と西宮の小出、計4名。10時に奈良駅集合してバスに乗る。「破石町」バス停に10:30着。ここで手品のように緑婦人のバッグから愛犬「ラッキー」が飛び出た。犬を連れての優雅な山旅をしようとする。
柳生街道に続く道を歩いて途中の標識で右折。民家が迫る狭い道をゆくと、白壁の土塀から「新薬師寺」の屋根が顔を出した。バサラ大将など国宝がひしめいているため、立ち寄るかと思ったが、素道り10:45。拝観料を渋るのではないとしておく。有名な寺だから以前訪れたのだろう。
「白毫寺」に11:00。東山氏だけが門をくぐって行った。栗本氏も私も9年前の7月、ある人の送別ハイキングで訪れたことがある。梅雨明け間近かのある暑い日曜、丁度閻魔さんの祭りの最中。その時もらった住職手書きの団扇が今もある。その人は雑誌社の人。昔、破れた白塀の前である女優の撮影をした、懐かしいというので行ってみた。「くずれそうで、くずれるでなし‥」とマップに記載されたその白壁は無く、変わりに萩の木が緑の葉をつけていた。しばらくして東山氏が「見晴らしがよかった」と言いながら戻ってきた。
町並みを外れて郊外に出た。黄金色に実った田んぼのあぜ道を歩いて、「八坂神社・石燈篭」の分岐点を目指す。少々道を間違えたが難なく分岐点に着く12:00。 日差しは強いが日陰はうんと涼しい。「歩くのは10月からに限るナ」の声に、相槌打つて休憩した後は、いよいよ「正暦寺」への登り。登山道ではない車が通るアスファルト道。きつくも無く緩くもない単調な坂だが、鈍った身体は呼吸が荒い。やがて森の頭が少し下がり、空が広がると峠に着いた。茶畑の端で腰を落とすと、数輪の白い茶の花を見つけた。地図はこの先下りを示す。杉や桧の森の中を下るが、先日の台風で荒れている。折れた枝、今も湧き出す水にドロ、散乱する石コロ。ご婦人のワンちゃん、岩の上で飛び越えるのを戸惑った。靴を濡らし、ズボンを汚して登り点から一時間半、「正暦寺」に13:35着いた。
「清酒発祥の地」※の石碑が目に入った。近鉄まっぷによればこの寺は991年創建。当初僧坊が86あったという大寺。菩提仙川に沿う苔むした石垣に、往時の繁栄を偲ぶのみという。紅葉には早いが木々が色ずくころには多く参拝客で賑わうことだろう。人気の無いがらんとした境内で弁当を広げれば、枯草を焼く煙が秋の雰囲気を醸しだしてくれた。
コースは終盤。参道脇のモミジの紅葉を想像しながら、「円照寺」への緩い緩い下り道を歩いていく。太陽を真正面に浴びて思わぬ日焼けをした。雲一つもない澄んだ碧空が気持いい。「円照寺」は拝観できないため割愛すると、コースの目玉は終了。バスの便が多いR169号線まで足を伸ばし、奈良駅へ向かうバスを待つ15:15。太陽はまだ高い。出発時のバスは乗らなくてもよかった(と、しておこう)。
東山 二郎 栗本 圭一・緑 小出 登
今夜の反省会:会場は馴染み布施の「OOた」。久しぶりの栗本夫妻、旦那がいつのまにか「古代史」にゾッコン、堰を切ったように語るのだった。酔いも後押しし、閉店も気付かず話は次から次へ。話切れないのか隣の居酒屋でもう一席。彼の話を聞いたのは、我々だけかもしれない‥。
※「清酒発祥の地」:中世から僧坊での酒造りが定着。精米した米を使用するようになってから銘酒が生まれた。このころからいっぺんに仕込んでいた酒造りから酒母(酵母)づくりを独立させて、仕込みが二段掛けから三段掛け(原料を二回、三回と分けて仕込む。現在も三段掛けが主)となる。その母体となったのは菩提泉という菩提山正暦寺で造られた銘酒のもろみといわれる。(日本酒 秋山裕一 岩波新書)